活気あふれる漁師の町が、震災で大きく揺さぶられている。家族の安否を気遣って漁から戻った海の男たちは、港の変わりように息をのんだ。
津波とその後の火災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市の気仙沼漁港。地震発生時に遠洋で操業中だった漁船が続々と港に帰り始めた。
大破した桟橋に係留された中型漁船の前で、2人の子どもがヒゲ面の漁師の足元にまとわりついていた。「無事に帰って来られて良かったね」と子どもたちが甘えると、はえ縄漁船の第17幸新丸(乗組員15人、約150トン)船長、福士透さん(40)は両目を細めてうなずいた。
気仙沼港は年間のべ約4万2千隻が入港する全国有数の遠洋漁業基地だ。地震発生時には多くの漁船が遠洋にいた。福士さんの船は当時、約20隻とハワイ近海でメカジキ漁をしていた。無線で地震発生の連絡が流れると、乗組員の顔色が一斉に青くなったという。
船団は互いに連絡を取り合うと、すぐさま漁を切り上げて気仙沼に向かった。漁場から約3日間。ほとんど不眠で進み続けた。「これほど早く帰りたいと思ったことはない。衛星電話で港や家族に連絡を入れても、まったくつながらない。最悪のケースばかりが頭をよぎった」
気仙沼まであと約100キロに迫ると、海の上には倒壊した家屋の破片とみられる木材や布、ロープなどがたくさん漂っていた。巨大な木材に衝突したり、スクリューにロープがからみついたりしないように、注意深く障害物を避けて時間をかけて進んだ。
帰港直前、実家にいる妹の阿部留美さんと連絡がつき、家族全員が無事と知った。港に船を留めるとヒッチハイクで実家に戻った。家族全員で抱き合って泣いたという。「港もふるさともめちゃめちゃだけれど、私は恵まれています」